寝そべり族
新聞を隅から隅まで目を通す。夕刊が休刊になって、生活のリズムが狂ってきた。3時過ぎになると新聞受けを覗いて、本当に夕刊が休刊になったのだと手持無沙汰になる。
新聞に中国の若者事情を伝える記事に釘づけになった。ラジオで聞いた記憶があったが、改めて活字で確認すると、「寝そべり族」とはよくネーミングしたものだ。
若者の風俗が時代を表す。我々の時代は、みゆき族、竹の子族、ヒッピー族、、、、暴走族、カニ族が話題になっていた。流行の生き方であった。
親の門地、親を選べない、運に見放され、努力しても報われず、それなら、働かず、競争せず、消費せずゴロゴロして暮らす若者、寝そべり族がふえているらしい。
暴走族は論外としても、社会主義、全体主義の中国で、寝そべり族のような、自由な生き方、反権力をうかがわせるような生き方が許されるだろうか、興味あるところだ。
食べる事、寝る事以外無関心な寝そべり族が、余計者、怠け者として中国当局からムチ打ち刑がか出されことは間違いない。私はゴロゴロして、ごろ寝でブログをしたためている。
寝そべり族
新聞を隅から隅まで目を通す。夕刊が休刊になって、生活のリズムが狂ってきた。3時過ぎになると新聞受けを覗いて、本当に夕刊が休刊になったのだと手持無沙汰になる。
新聞に中国の若者事情を伝える記事に釘づけになった。ラジオで聞いた記憶があったが、改めて活字で確認すると、「寝そべり族」とはよくネーミングしたものだ。
若者の風俗が時代を表す。我々の時代は、みゆき族、竹の子族、ヒッピー族、、、、暴走族、カニ族が話題になっていた。流行の生き方であった。
親の門地、親を選べない、運に見放され、努力しても報われず、それなら、働かず、競争せず、消費せずゴロゴロして暮らす若者、寝そべり族がふえているらしい。
暴走族は論外としても、社会主義、全体主義の中国で、寝そべり族のような、自由な生き方、反権力をうかがわせるような生き方が許されるだろうか、興味あるところだ。
食べる事、寝る事以外無関心な寝そべり族が、余計者、怠け者として中国当局からムチ打ち刑がか出されことは間違いない。私はゴロゴロして、ごろ寝でブログをしたためている。
寝そべり族
新聞を隅から隅まで目を通す。夕刊が休刊になって、生活のリズムが狂ってきた。3時過ぎになると新聞受けを覗いて、本当に夕刊が休刊になったのだと手持無沙汰になる。
新聞に中国の若者事情を伝える記事に釘づけになった。ラジオで聞いた記憶があったが、改めて活字で確認すると、「寝そべり族」とはよくネーミングしたものだ。
若者の風俗が時代を表す。我々の時代は、みゆき族、竹の子族、ヒッピー族、、、、暴走族、カニ族が話題になっていた。流行の生き方であった。
親の門地、親を選べない、運に見放され、努力しても報われず、それなら、働かず、競争せず、消費せずゴロゴロして暮らす若者、寝そべり族がふえているらしい。
暴走族は論外としても、社会主義、全体主義の中国で、寝そべり族のような、自由な生き方、反権力をうかがわせるような生き方が許されるだろうか、興味あるところだ。
食べる事、寝る事以外無関心な寝そべり族が、余計者、怠け者として中国当局からムチ打ち刑がか出されことは間違いない。私はゴロゴロして、ごろ寝でブログをしたためている。
植物学講座
令和2年度、熊本市主催の植物学講座が終わった。2ヶ月に1度、計6回講座が予定されていた。ところが、コロナ渦で3回が取り止め、半分しか実施されなかった。
向学心に燃えていた私にとって残念であったが、仕方ない。講座を主催した熊本市が悪い訳でなく、授業を受け持った先生が悪い訳でない。
植物学講座と聞けば、専門性が強いと思われがちだが、野山や、里山のごく身近な植物の講座である。誰でも親しめる植物を教わるのである。
植物学講座の生徒は70、80代が主流である。この年代の女性の向学心は男性を遥に上回る。ほとんどが女性である。
令和3年度の日程表が配られた。植物学講座は前年度と同じ、2ヶ月に1度、6回の予定が組まれている。その他に、現地に行って実際の植物を現場で勉強する日程が新たに組み込まれていた。
知らないことを勉強するのは、歳など関係ない。死ぬまで勉強である。勉強はきりがない。学ぶことは喜びである。身体が動ける間は頑張ろうと思っている。
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あああ